image

あの世なんてない。
決して病んでいるわけではない。
40を越えてから、死に対するイメージが昔とは随分と変わってきたように思う。
小学生の頃、つまらない授業中、死んだらどうなるのかをずっと考えていたことがある。

私は、死んでもなくならないものがあると思っていたが、残らないのかもしれない。
心の中でこうして考えている思考のようなもの。
それは身体がなくなっても続いて行くものと思っていた。
あの世なんてないと思いながら、あの世の存在をどこかで信じていたのだ。

死んだ者に聞くことが出来ないので本当の事はわからない。
だが私という人間は恐らく、死んだら本当に死ぬのだ。目も見えないし、聞こえもしない。誰も私に気づくこともなく、ましてやそれを嘆く心すらない。
死ぬとは、完全になくなる事なのだ。

私は40を過ぎてやっとそれに気づいた。
永遠なんかない。あの世なんてない。
人は何かを強く信じたい生き物で、何かに困るとすぐに永遠だとか曖昧な言葉に変換してしまう。

一度きりの人生。そんな安っぽい、旅行会社のキャッチコピーのようなもののせいで、本当の事なのに本当ではないように感じていた気がする。


貴方が見ている景色も、風の音も、子供たちの笑い声も、柔らかい手の感触も、これまで感じた心も。
いつかは全てなくなる。あった事もなかった事のように、プッツリと。
だから。
誰のせいでもない。誰のものでもない。貴方の人生を生きなさい。

私は、私にそう訴える。

ただ、生きている者が、私という存在を少しだけ覚えている。
そんな事で良い気がする。
大切な人が、少しでも覚えていてくれたら。それだけで美しい。
そして、私を思い出す時、なんだか笑ってしまうような、そんな生き方が、私はしたい。


私の感じたことを書くメモに書いたが、こちらにも転載した。

昔から良く思い出す言葉。
生を生き抜き、死を死に抜く。
何の本だっただろうか。

私を突き動かす言葉です。

まほろ駅前狂想曲という映画を観て、そんなに書くほどのものではないが、ただ病院の屋上で、お婆さんと話す松田の言葉に、インスピレーションを感じた次第。

本日はお休み。とりあえず、何にも考えず、ワーゲンにガソリンぶち込んで走ります。