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先日の金曜日に肉体労働をしてから、しばらく本業であるバルパキートでの営業が続いた。土曜日には天王洲ボンドストリート。日曜日は、初出店の青山ファーマーズマーケット。そして月曜日は大手町のランチ営業。土曜日は風も強く、大した営業にならなかったが、私はここ最近、この天王洲の持つ雰囲気が好きで、ゆったりとした気持ちで営業ができた。とても落ち着いた場所であり、ひと気はないものの、閑散としているわけではない。ここに買い物に訪れる人達には、何となく余裕というものを感じる事が出来る。もちろん富裕層も多いのだろうが、その余裕は、モノを見る力、広い視野を持つ事にも繋がっており、決して嫌な感じのするものではない。そして、ここに住む住民達は、この街が本当に好きなのではないだろうか。決して、今の状況を含めて『私の街が一番!』というわけでもない。もっと盛り上げなくてはと思っているし、育てたい、面白い街にしたいという、それも決して力み過ぎてはいない、そういう気持ち、そんなものを感じる。しかし、状況がどうであれ、私はこの街が好き。そういう深いものを感じるのだ。力み過ぎてもいなく、新しいものを受け入れる懐を持ち、住民が土地を愛している。そんな場所に、新しい人がやってくるのではないだろうか。私は、この街が好きになったし、この街は今以上に面白い街になってゆくだろう。ひょんなことから、月に一度のマルシェに参加しはじめ、クリスマスのイベント、そして、平日の昼間の営業もさせて頂けるようになった。嬉しい限りである。

青山のファーマーズマーケットも初出店ではあるが、反応は良いようだった。このマルシェは出店者、来訪者共に常連客が多い印象だ。回を重ねていくうちにもっと受け入れられるようになるのでは、と言った感じ。今月は、まだ分からないイベントであったので、一日だけの参加にしたが、来月からは回数を増やそうと思っている。素敵なイベントだった。

大手町のランチは、2月で一度出店を見合わせようと考えている。いい勉強はさせて頂いたが、自分がやりたい事とは少々違うようだ。私は短時間で弁当を売る為にバルパキートを始めたわけではない。また、場所や環境も大きく影響している。10円でも安く、というものが求められ、少ない休憩時間の中で弁当を買うことが強いられる場所では、私の店は向かないようにも思う。
ただ、やってみて本当に良かった。知らないものを知り、見てなかったものを見た。何度も買いに来てくれたお客様もいた。スーツ姿の巨大な人波、この巨大なオフィス街の一角で、私の料理を食べてくれている人がいる。そう思うと本当に不思議な気持ちにもなった。私の料理をどんな気持ちで食べているのだろうか。少しだけ仕事を忘れ、フワッとした気持ちになってくれていれば良い。そんな風に思う。
この仕事は、買ってくれる人の顔は見えても、食べている顔は中々見られない。それを想像するのもまた楽しみの一つではあった。2月で引き上げようと決めた時、その人達の顔が浮かんだ。

いろんな街がある。
安いものが求められているのに、家賃だけは高い街。行列ができなければ新しいものに近寄れない街。一人でも価値を見出せる、力のある街。新しいものに柔軟な街。綺麗な橋の架かる街。
街は人が作るのか。街が人を作るのか。東京は、田舎と違い、都心とそれ以外に分けられるような街ではない。色んな色を持った、それぞれの街が密集したアミューズメントパークのようだ。
それらは、どうしてこうも違う色を持ちはじめたのか。もちろん町起こし的に、人為的に持った色もある事だろう。しかしながら、意図しない、違った色も感じずにはいられない。そして住民は、人為的に作った色は認識出来るが、意図する事無く出来てしまった色には鈍感である。
最近見た物語では、それに近い話をこう答えた。その正体は誰でもない。空気であると。新しい風を受け入れる時、街は少しずつ変わっていくのかもしれない。
時間は刻一刻と新しくなる。一分一秒新しくなる。新しいものを愛してこそ、古きものを愛せるのではないだろうか。また、古きを愛しているからこそ、新しいものを受け入れる事が出来るのではないだろうか。新しいものを疑心暗鬼に思うのは、それ自体が軽薄に見えるからだけではない。古きものを何だか良く分からないままに受け入れているからである。自分に自身のないものは、時として頑固に見えるように。
変わるという事は意外にも難しい。だのに、変わろうとしている事を拒絶しようとする力もある。変わるなというだけでは子供の喧嘩である。変わるのが難しいのに、変わろうとする時。それは確実に変わる時である。どう変わるのか。どう作るのか。そして今まで自分は何者であったのか。何かが変わろうとする時、人も街も価値観さえも何もかもが変わる。人が変えようとしているわけではない。もう風が吹いているのだ。そんな風に思う。

いろんな街を見ながら思う事。
今住んでいるのは狛江市。
友人のガラス屋の仕事を手伝った時に、行った先が狛江のお宅だった。可愛らしいお婆さんが一人で住んでいて、割れたガラスを取り替えて欲しいと言う。庭を部屋から見るのが大好きなお婆さんで、ガラスのつなぎ目をなるべく見えないようにして欲しいとの事だった。少し寂しがりやのお婆さんは、一緒にお昼ご飯を食べようと、天丼の出前を取った。上天丼。天丼ではなく、私はこのお婆さんとご飯が食べられて嬉しかった。狛江の話を聞いた。お婆さんも本当かどうかは分からないらしいが。
昔、小足立と呼ばれていたこの辺りは、世田谷区か調布市に合併するという話があったらしい。住民達の投票の結果、世田谷区へ、となったのだが、世田谷区からは断られた。それでは調布市へとなったのだが、世田谷区に断られてうちにくるにのならご勘弁、と調布市からも断られ、日本で2番目に小さい市、狛江市が誕生した。
あくまでも40年住んだお婆さんですら、本当かは分からないというので、本当に分からないが面白い話を聞いた。
それだからだろうか。お隣である世田谷区喜多見と狛江では、少しばかり様子が違う。そんな気がする。そして、そんな逸話をもった、なんだかお馬鹿な狛江市が、私は可愛らしくて好きである。
そして、そのお婆さんの家に、花でも持って遊びに行きたいなどと思った去年の秋。しかしもうきっとお婆さんは私を思い出せないだろう。また、ガラスが割れないかな、などと思う始末である。