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昨日は植木屋の仕事の為、朝、下北沢へ。雨の予報の為、まだ雨は降っていなかったが、仕事は中止になった。下北沢をぶらつこうとも思ったが、すぐに家路についた。都心に向かう人の流れの中、私は逆の方向の電車に乗る。どんな状況だったのだろうか。ふと耳にした一曲の音楽が頭に残っていた。
下北沢の帰りの電車の中、ふとyoutubeなどで、どんな曲だったか探してみた。それは、SEKAI NO OWARIのDragon nightという曲だった。

帰宅してから週末の営業の為に仕込みをしようと、買い出しに走った。雨は予報通りに降り始め、3時頃には大雨になった。雨の日のドライブ。
その曲を聴きながらドライブした。

この間、下の男の子から、私と暮らしたいという電話が掛かってきた。意外でもあるし、意外でもない。ただ、とにかく嬉しかった。ほんの一瞬でもそんな風に思ってもらえるのは。
実際のところ、本当にそうなるかは分からないが、自分に選択肢があるということが分かり、息子は少し落ち着いたようだった。
また、小学校にあがったばかりなのだが、少しばかり担任の教師が変なのだ。息子はその先生が恐いらしい。縄跳びを40回飛べないと怒られる、と言い、私に縄跳びを見てくれという日があった。
息子は綺麗なフォームで縄跳びを跳んだ。どこが悪いのだろうと思った。しかし、40回は跳べなかった。跳べても可笑しくない筈なのにだ。きっと怒られるという無意味な脅迫観念が、跳べなくしてしまっているのだろう。
保育園で、生き生きとしていた息子が、急に消極的になっていた。
言い出すとキリがないが、無責任な教師が多い中、逆に無意味に積極的な教師なのだ。しかも生徒の事よりも自分の教師としての理念が強すぎるのだろう。私はふと思う。それならば無責任で構わないよと。

色んな事がある。
本当に。私の身近なところだけではない。知らない何処かの誰かにも、それと似た色んな事があるのだ。
それぞれ。その言葉が、随分私の中のキーワードとして出てくるこの頃。

風の噂に聞く。随分前に、好きだった女の子が結婚するらしい。良かったね、と素直に思う。綺麗事に聞こえるかもしれないが、本当にそう思う。そして、少しだけ、その彼女も私の幸せを願ってくれていたら、そんなに素敵な事はない、と思ったりした。
世の中は綺麗事で出来てはいない。しかし、そうだったらいいのに・・・という小さな願いは抱いていなければ、世界は変わらない。

世界を変える。世界が変わる。
私は、この言葉が、そんな大それた事のように思えなくなっている。
かつて、映画『パッチギ』を観た友人が言った。これは世界を変える映画だと。
その後、私も観て、確かにそう思った。人一人の価値観を変えられるもの。それはもう世界を変えているのだと思う。感じ方、考え方で、その人の目に映る世界が変わったのならば、もう世界は変わっているのだと思う。

彼らの音楽を聴いて思った。若者。そう。若者が世界を変える。
それがとても素敵で、感動し、涙が出た。
自分の息子が晴れ舞台に立ったかのように。
いや、そうなのかもしれない。若者は、全ての大人達の息子なのかもしれない。

大人は知らず知らずに、考える事をやめていく。相手に変わって欲しいと望むのであれば、まず自分が変わらなければならない。これはもはや精神論ではない。
人は、一人で作られているのではない。目の前にいる隣人は、半分、対峙している自分が作っているものである。戦っている敵を、目の前にいる隣人を、昔別れた恋人を、嫌いな人を。変えたければ自分が変わるしかない。
若者は考える。どんなに生意気な若者でも、大人が思うよりもずっと謙虚にだ。自分が間違っているのかもしれないと塞ぎ込むときもあるだろう。
大人達はいつしか、『これを否定されたら私の存在意義が』だの、『私は間違っていない』という自己防衛ばかり、贅肉のように身に付いていくばかりだ。

私は幾つになっても若者に謝れる大人でいたい。言い方は変だが、そんな風に思っている。

若者が歌う。
それぞれの正義。しかし嫌いな彼の事を考える事が、戦いを終える術なのだと言う事を知っている。
単純だが、簡単ではない。ただ、若者がそう歌っている。私は、感動して涙が出た。
世界が変わる。
若者が世界を変えようとしている。
それを見て、聞いて、もう私の世界は変わってきている。

世界を変えたのだと思う。