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朝5時。
まだ日も出ぬ早朝に、小田急線の駅に向かう。代々木上原駅から千代田線に乗り換える。地下を走る列車に乗り、1時間程揺られると、列車は夜の明けた地上へ出た。今日まだ開けたばかりの私の目に、明けたばかりの薄紅色の東京の街が、ヘッドフォンから流れる友達の歌で、スライドショーのように流れて行った。
引越のアルバイトで足立区竹ノ塚へ。初めて降りる駅だ。降りた瞬間に、そこに住んでいる人たちの匂いがした。生活感の際立った、近郊の町。ふと路地裏をのぞくと見かける看板は、和風スナックと、書かれている。若い時の私ならば、この感じを、淋しい、と例えたかもしれない。だが、今は悪い気はしなかった。
私は、今、現場派遣の仕事をしている。春に、移動式バルを初めるまでの間だ。友人に荷揚げの仕事を貰ったり、登録しておいた派遣会社から貰った仕事をするのだ。様々な仕事がある。オークションに出店する車の陸送から引越まで。所謂、何でも屋だ。
本来なら休みだった日の前日。夜も遅くに派遣会社から電話。どうしても引越の現場をやってくれる人がいないのだと言う。みんな、楽な仕事が良いのだろう。断られ続けて、電話してきたようだ。仕方が無いので行く事にした。貸しを作ってやる、くらいのつもりで朝5時に足立に向かった。

それに、このところ、身体を使う仕事が新鮮でたまらないのだ。しかも色んな運動で体力が付いているのか、昔ほど辛い感じも無い。初めは無口な引越やの親父さんも、私の働きぶりに、どうやら気に入ってくれたようだ。残業も5時間ほどやり、2日分ほどの賃金が貰えた。
昔は、当たり前のように肉体労働を強いられ、嫌で仕方なかったというのに不思議なものだ。16歳くらいの頃だろうか。地元のチンピラに捕まり、シノギの一役にされていた。不良少年に仕事を斡旋し、その少年達に支払われる筈の賃金から、手数料を抜いて渡す。不良少年は、そんな事にも気付かずに働くが、賃金は6000円程度。当時、時給と言えば500円程度であるから、それでも良い方かな?などと思っていたが、予想では4000円は彼の懐に入っていただろう。そんな少年を5人ほど抱えていれば、一日2万円。月にざっと、50万以上の稼ぎになる。これが、彼のヤクザとしてのれっきとした仕事なのである。
彼に紹介された親方の元で働く。毎日、現場が終わると、皆でワゴンに乗り、社長の奥さんが経営する居酒屋に向かう。そこに置いてある帳面に、今日仕事をしましたというサインを書いて仕事は終わり。社長はやる事も風体もれっきとしたヤクザだし、奥さんは目元にほくろのある、妙に妖艶な人である。酒で枯れた声を除いて。店の名前も、奥さんの名前も、はっきりと覚えているが、ここでは伏せておく。
毎月1万払っておくと、その奥さんが毎日晩ご飯を作ってくれる。酒も只だ。凄いと思うかもしれないが、私が毎日差し引かれた賃金のことを考えると妥当である。妥当すぎるのである。
しかしながら、労働後に居酒屋で喰う晩飯は、最高だった。まだまだ幼い私は、九州から出稼ぎにやってきたおやじ達にまみれて、青リンゴサワーを呑む。奥さんの青リンゴサワーは、ジョッキに9割焼酎を入れ、色づけ程度に青リンゴジュースを入れた特別なもの。2杯呑めば、もうベロベロに酔っぱらった。
そのヤクザは、塀の中を出たり入ったり、そして私もまた同じようなものだったので、その生活から1年も経たずに抜け出したのだが、今、思い出すと懐かしい日々だ。

今や派遣会社などと綺麗な名前を付けてはいるが、やっている事は同じなのだ。言い方を変えただけで実は同じなのである。
なんだか、それも含めて、懐かしい。
今は、仕事を終えてから『まる』に帰る。飯を喰う事も多い。そんな時に思い出すのだ。もう、ここ最近見なくなった、青リンゴサワーを。


追記。
本日、初めてデザリングというものを試してみた。何とも便利な機能。これでいつでもネットに繋げられる。知らない事が沢山あるものだ。コメントにリンクを貼ってくれた、いかわ氏に感謝。ブログ、もっと書けそうです。